皿尾城 (さらおじょう)
所在地 埼玉県行田市皿尾340-1 2016.11.19
皿尾城 (さらおじょう)
所在地 埼玉県行田市皿尾340-1 2016.11.19
ふるさと館前の城跡碑
大雷神社
西側空堀
皿尾城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 水田の中の微高地にあり、攻められたら半時も持たないと思われる。忍城周辺は当時は荒涼とした湿地帯と云われる。
【案内】 城跡には大雷寺(表記番地)、皿尾農民センター(ふるさと館)が建てられ、小さな駐車場が用意されている[マップコード14 788 826*53]。
ふるさと館南側に「皿尾城跡」の石碑が建てられ、裏面に碑文が刻まれている。また、表左上のQRコードから、行田ライオンズクラブの説明文を読むことが出来る。
西に堀、北と東に堀跡の排水溝があり、拝殿裏にわずかな土塁の高まりが見て取れる。
【歴史】 永禄四年(1561年)上杉謙信は9万6千の大軍を率いて小田原を攻めた。しかし北条氏は持ちこたえている。
上杉謙信は三度、北条氏に与した忍城を攻めている。そのため、永禄四年(1561年)皿尾の地に築城し、羽生城主木戸玄斉に守らせた。
忍城主成田長泰はこれを攻め、木戸玄斉は岩槻城の援軍を得て戦ったが、決着を見ず、長泰と和睦してしまった。
長泰と通じたと思い、謙信は怒って城を焼き払い、木戸玄斉を殺したと「北越軍記」等にあるが、今は外張りという地名を残すのみである。