江釣子城 (えづりこじょう)
所在地 岩手県北上市上江釣子17地割172 2017.4.23
江釣子城 (えづりこじょう)
所在地 岩手県北上市上江釣子17地割172 2017.4.23
登城ルート
江釣子城趾碑
舘すず
民家内にある貴徳院
民家北土塁
南側民家北空堀
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 江釣子体育館裏に「舘すず」と呼ばれる湧水があり、長さもあり堀の役目を担っていたと思われる。
南の空堀のある民家は城域の一つの郭かも知れない。民家南側は3、4mほどの段丘となっている。
【案内】 「北上市民江釣子体育館」(表記番地)と「江釣子保育園」との間に城址碑が建てられている[マップコード108 458 419*74](地図)。JR北上線との間に堀跡の一部湧水(舘すず) が残っている。
また、約300m南側の江釣子神社東の民家北にコの字形の空堀が残っている(地図)。
【歴史】 築城年代は不明。和賀川北岸の台地を中心とする大郷で、南北交通の要地であった。中世の宿駅のあと元宿もあり、そこに江釣子城もあった。
江釣子氏は、慶長五年(1600年)の岩崎一揆の発頭人の1人であり、和賀氏麾下諸氏中、屈指の重臣であり、もと高階氏とも高橋氏とも称したが、中世の事蹟は判明していない。
天正二十年(1592年)、豊臣秀吉の「諸城破却令」には「江釣子 平城 破 信直抱 代官 河村与三郎」とあり破却された。