芝原城 (しばはらじょう) (中峠城)(なかびょうじょう)
所在地 千葉県我孫子市中峠3860 2015.4.6
芝原城 (しばはらじょう) (中峠城)(なかびょうじょう)
所在地 千葉県我孫子市中峠3860 2015.4.6
案内標識
堀道
曲輪・土塁
竹林の中の土塁
空堀・土塁
空堀
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 表記番地の南に切通しの道路があり、後年のものと思われ、西側入り口に案内標識が建てられている[マップコード18 144 512*36]。
東に狭い道路を200mほど行くと、土塁と空堀が残っている[マップコード18 144 520*48](地図)。駐車スペースは東側の古利根公園付近に少しある。
孟宗竹が密生し、うす暗く見通しは悪い。竹林の中に曲輪があり、南側は崖となっている。道路を挟んで曲輪跡(表記番地)があり、東西に3つの曲輪が並んでいたとされる。
【歴史】 平将門の築城説があるが、在地土豪の柴原氏が居城していたといわれる。
戦国時代、河村氏が居城し、古河公方足利氏に属していたが、天正十年(1582年)足利義氏が没した後は、後北条氏に仕えた。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で、下総は浅野長政らが侵攻し小金城など後北条方の主だった城は開城したが、中峠城も浅野勢に明け渡され、廃城となった。