長部城 (ながべじょう)
最寄地 千葉県旭市長部325-10 2016.1.6
長部城 (ながべじょう)
最寄地 千葉県旭市長部325-10 2016.1.6
大原幽学頌徳之碑
大原幽学旧居
土塁
主郭・祠
大原幽学頌徳之碑
西側空堀
長部城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 県道74号線より分かれ、「大原幽学ゆかりの里」の大きなゲートのある道を約600m行った右に、東総ハム(表記番地)の北に駐車場が用意されている[マップコード92 405 093*13]。
西に蓮根田の間の細い道を150mほど行くと、入口があり、堀道の石段を登ると、旧林家住宅がある。
高い土塁が見られ、大原幽学記念館(入館料:一般300円・小中学生200円)が建てられている。幽学(1797~1858年)は先祖株組合という農業協同組合を創始した農民指導者であった。
その西の一段高い台地に、龍ヶ谷と呼ばれる30間四方の主郭跡があり、説明板、「大原幽学頌徳之碑」、祠等が建てられている。西側に空堀が残り、杉林の平坦地と分けられている。
大原聖殿や大原幽学の住居等が、国指定史跡として城地内に保存されている。
【歴史】 当城は府馬城の一族である松沢氏が9代に亘って居城していたが、天正年中に、里見義康により攻略され落城したと伝えられる。
長部城址の要害にあたる主郭跡に、安政四年(1857年)幽学門人の奉仕により三神(天照大神・春日大神・八幡大神)を祀る聖地として作られたと云われる。
幽学の遺骸はこの地に埋葬された。また明治四十四年(1911年)7月に建立された「大原幽学頌徳之碑」を始め、門人たちによる碑も多数残されている。