高松城 (たかまつじょう)
最寄地 埼玉県皆野町下日野沢790 2023.4.16
高松城 (たかまつじょう)
最寄地 埼玉県皆野町下日野沢790 2023.4.16
登城ルート(緑線は車道)
民家手前の入口標識
北側頂上の石宮
堀切・土橋
北西の郭
消滅した主郭一帯
高松城 北西郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 皆野町下日野沢にある標高368mの山頂から南東に伸びていた尾根に築かれていた。主郭一帯は秩父太平洋セメントの私有地となり珪石が採取され、比高も低くなり完全に消滅している。
しかしながら北西尾根にあった狭い郭と土橋・堀切がよく残っている。
【案内】 県道44号線に面した「秩父まいたけセンター」(皆野町金沢1360−1)向かいから「大神・高松」方面に向かう道路がある[マップコード150 609 292*40]。
そこからカーナビには表示されないが、約1km登ってゆくと最初の民家(表記番地)手前の桜に「高松城跡300m先」の標識が掲示されている(地図)。
そこから左へ墓地を抜け、階段を登った頂上に石宮が祀られている(地図)。
その先に道はないが尾根を100m程下ると堀切に着く(地図)。その上に狭い北郭の平坦地が見られる。南東下段に主郭などがあったが、珪石採掘のため大半は消滅している。
【歴史】 文明十二年(1480年)塩沢城に居た長尾景春が太田道灌の軍の夜襲を受け、熊倉城へと逃げた際、高松城も使われたともいわれるがはっきりしない。
その後、小田原北条氏の北武蔵の拠点である鉢形城の支城として、天神山城(長瀞町)・龍ヶ谷城(皆野町)・日尾城(小鹿野町)などと共に築かれ、北条氏邦の家臣・逸見若狭守が居城したといわれる。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉による「小田原征伐」で小田原城と共に落城したといわれる。