浦賀城 (うらがじょう)
最寄地 神奈川県横須賀市東浦賀2‐21‐25 2014.2.4
浦賀城 (うらがじょう)
最寄地 神奈川県横須賀市東浦賀2‐21‐25 2014.2.4
東叶神社
主郭跡・叶神社本社
主郭跡・招魂碑
招魂碑
社
浦賀水道・説明板
説明板
浦賀城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 海岸前の道路に東叶神社(表記番地)の参詣駐車場が3台分用意されている[マップコード306 552 424*24]。
拝殿の左の石段を登っていくと、明神山と呼ばれる比高約50mの頂上に叶神社本社が祀られている。一帯が浦賀城跡である。
「勝海舟断食の跡」碑や「招魂碑」が建てられている。「招魂碑」の東に城跡説明看板があり、浦賀水道を望むことが出来る。二段になった曲輪がある。
【歴史】 戦国時代に小田原北条氏が三浦半島を支配し、対岸の房総里見氏の攻撃に備え、北条氏康が三崎城の出城として築いたと言われている。
天正五年(1577年)里見義弘との相房和睦の後に廃城となった説と、天正十八年(1590年)秀吉の小田原征伐後に三崎城同様廃城となった説がある。
水軍の根城として空堀などの城の遺構が残り、下田山・城山とも呼ばれている。嘉永六年(1853年)ペリーの黒船四隻が来航したとき、眼下の海に停泊していた。