仙台城 (せんだいじょう) (青葉城) (国の史跡・日本100名城8)
所在地 宮城県仙台市青葉区川内1 2012.10.7 2013.11.8
仙台城 (せんだいじょう) (青葉城) (国の史跡・日本100名城8)
所在地 宮城県仙台市青葉区川内1 2012.10.7 2013.11.8
三の丸北の五色沼
大手門脇櫓
中門跡石垣
本丸高石垣
伊達政宗公騎馬像
護国神社
本丸北側石塁
仙台城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【案内・感想】 青葉山公園など駐車場は他にもあるが、三の丸にある仙台市博物館の駐車場を利用した[マップコード21 613 369*31]。
北側の道路横に大手門脇櫓が復元されている。中門跡石垣を過ぎ登ると、本丸高石垣があり、石垣の反りが美しい。
本丸跡には、護国神社(表記番地)が建てられている。伊達正宗公騎馬像の先から、仙台市街が一望できる。
北西側の二の丸には東北大学文学部、図書館、植物園の敷地になり、北側の三の丸の博物館脇には、太平洋戦争の折り、供出を免れた正宗の胸像が展示されている。日中友好の碑であろうか、魯迅の銅像もある。
また「残月亭」と称する茶室が保存されている。東北大震災のため、城跡南東方向の太白区茂ヶ崎四にある伊達家の墓の墓石、石燈籠は倒壊していた。昭和二十年空襲により大手門・脇櫓が焼失した。
平成十五年(2003年)8月27日、国の史跡に指定された。平成十八(2006年)4月6日、日本100名城(8番)に選定された。
【歴史】 青葉山には鎌倉時代末期から室町時代中期にかけて島津氏が陸奥守として居城した。室町時代末期には国分氏が居城したといわれている。
伊達家十七代伊達政宗の叔父の城主国分盛重が政宗と対立し出奔すると千代(せんだい)城は廃城となった。
関ヶ原の戦いの後、政宗は家康の許可を得て、千代に築城を開始し慶長八年(1603年)本丸、西の丸の千代城が竣工し岩出山城より移り仙台城と改称した。
泰平の世になると麓と山上の往復が不便になり、伊達忠宗が寛永十四年(1637年)二の丸造営に着手翌年完成し、ここで政務をおこなった。前後して現在博物館の敷地となっている三の丸が造られた。幾度かの火災、地震で建物石垣を破損したが、その都度再建された。
慶応四年の戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなく、明治維新を迎えた。明治四年(1871年)に東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯した。
明治三十七年(1904年)本丸跡に招魂社(現護国神社)が建てられた。