新堀城 (にいぼりじょう) (多比良城)(たいらじょう)
最寄地 群馬県高崎市吉井町多比良2282 2017.11.11
新堀城 (にいぼりじょう) (多比良城)(たいらじょう)
最寄地 群馬県高崎市吉井町多比良2282 2017.11.11
南郭
本丸東側切岸・城跡標柱
城跡標柱・説明板
本丸
北側切岸
新堀城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 北から東を土合川に西側をその支流・杉井戸川に挟まれ、北に突き出た舌状台地上の崖端城となっている。
南側さえ守れば、他の三方は深い谷側となっており、要害であったことが想像できる。
本丸は畑として一部利用され、他は草地となっている。空堀には、時代の趨勢なのだろう、ソーラーパネルが設けられていた。
【案内】 県道41号線より北に行った普賢寺(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード20 211 699*87]。
東の通りを北に150mほど歩くと南郭の土手が見えてくる。その北にソーラーパネルの設置された空堀、本丸がある。東に道路を挟んで東郭、西側に帯郭がある。
全体は東西約200m南北約250mの規模で、そのうち本丸は東西約80m南北約90mの広さがあり、北郭、東郭、南郭や腰郭、帯郭から構成されている。
昭和四十六年(1971年)6月29日、高崎市の史跡に指定されている。
【歴史】 上杉氏の本拠・平井城の西方の守りとして一郷山城と共に別城一郭を構成していた。平井城の北西約1.5kmに位置している。
『箕輪軍記』には、永禄六年(1563年)武田勢に攻略され、上杉氏の宝物も悉く焼失したとある。
天正十八年(1590年)三月二十五日、武田方の多比良豊後守友定は上杉景勝の先鋒・能登守信吉に降り、廃城となった。『高崎市教育委員会』説明板より。