守山城 (もりやまじょう)
所在地 福島県郡山市田村町守山三ノ丸52 2013.11.10
守山城 (もりやまじょう)
所在地 福島県郡山市田村町守山三ノ丸52 2013.11.10
本丸跡・八幡宮
八幡宮裏切岸
八幡宮・土塁
二の丸跡
三の丸・守山小学校
守山城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 本丸跡には正八幡宮(表記番地)が建っている[マップコード61 590 271*27]。神社裏に切岸があり、境内に土塁が残っている。
二ノ丸は空地、三の丸は守山小学校の校舎が建てられている。二の丸の西側に空堀、石垣があるが今回見落とした。
【歴史】 坂上田村麻呂が蝦夷追討の際に築いたと言われている。子孫の田村庄司氏が本拠地として南北朝時代まで支配した。
関東公方の攻略による没落後は、三春田村氏が三春城に移るまで、本拠とした。
その後三春田村氏は伊達氏の傘下に入り、天正十六年(1588年)伊達政宗は白石宗実、片倉景綱らを守山城に配置し、蘆名義広軍を摺上原の戦いで破り、南奥羽をほぼ制圧した。
秀吉の奥州仕置により、政宗がこの地を去ると、代わって蒲生氏郷の支配下に入った。その際守山城には田丸直昌が配され、改修を行なったが、後三春城へ移った。
慶長三年(1598年)蒲生秀行が宇都宮へ移った後は、上杉景勝の支配下に入り、慶長六年(1601年)再び蒲生氏が入るが、慶長二十年(1615年)の一国一城令で廃城となった。