九戸城 (くのへじょう) (福岡城・宮野城) (国の史跡)
所在地 岩手県二戸市福岡松ノ丸93 2013.11.6
九戸城 (くのへじょう) (福岡城・宮野城) (国の史跡)
所在地 岩手県二戸市福岡松ノ丸93 2013.11.6
登城ルート(緑線は車道)
本丸内堀・石垣
本丸追手門跡・石垣
本丸跡・土塁
二の丸跡
二の丸搦手門跡
外堀跡
石沢館跡
九戸城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道24号線と県道274号の交差点より南に約350m行き、南東に折れ安養寺(表記番地)(松の丸跡に建立)の前の道をゆくと道路の北に堀跡が残り、土橋を登ると二の丸の駐車場がある[マップコード209 336 597*80]。
東と西に内堀を設けた本丸があり虎口や堀の石垣及び石塁が残っている。本丸の土塁に植えられた満天星躑躅の紅葉が鮮やかに目を奪う。
二の丸の搦手門跡の東に空堀が良く残り、石沢館跡(地図)の曲輪がある。南に若狭丸跡がある。全体的に保存状態は良好である。
【歴史】 1500年前後に築城され、南部氏の一族九戸氏が居城とした。
天正十九年(1591年)南部宗家の相続争いで九戸政実が三戸城・南部信直に対し挙兵したが、前年豊富秀吉が信直に安堵状を出していたため秀吉に対する反乱とみなされ、豊臣秀次を総大将に浅野長政、蒲生氏郷らの鎮圧軍を派遣した。
たまたま起きていた大規模な一揆を鎮圧しながら6万の兵で九月二日、九戸城を取り囲み、四日には開城させ、政実を初め婦女子に至るまで処刑、惨殺された(九戸政実の乱)。
秀吉の命で居残った蒲生氏郷が九戸城や城下町を改修整備し、南部信直に引き渡され三戸から居を移し、福岡城と改称した。
またこの時、南部領の四十八城館の内、十二城を残し他は破却された。慶長二年(1597年)南部氏の盛岡築城中により郡山城(高水寺城)に転居する。
城は存続し、寛永十三年(1636年)廃城となった。