木村館 (きむらだて)
最寄地 福島県郡山市西田町木村南73 2020.4.19
木村館 (きむらだて)
最寄地 福島県郡山市西田町木村南73 2020.4.19
登城ルート(緑線は車道)
西の郭切岸
駐車場の郭
主郭・木村神社
南東の郭
広度寺の鐘楼
木村館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 磐越自動車道「郡山東IC」南東にある標高335.1mの古舘山に築かれている。
山頂の主郭に木村神社が祀られ、「古舘山公園案内」が建てられ、縄張り図、説明文が掲示されている。
南東に郭があり、下段に段郭が配置され、南西尾根にも郭や堀切がある。
【案内】 南麓の市道の表記番地東[マップコード129 068 078*71]から車道が木村神社まで通じており、駐車場が用意されている。
広度寺(西田町鬼生田前田119)山門左に鐘楼があり、「鶴姫の鐘」が吊られている。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、戦国時代、木村の領主・木村越中守信経の居城として使われていた。
天正七年(1579年)、木村越中守は主家田村清顕から二本松氏(畠山氏)に寝返ろうとし、田村清顕の下知を受けた鬼生田館主鬼生田弾正・前館主人に攻め滅ぼされた。
この際、妻子や鶴姫は捕えられ阿武隈川の牛ヶ久保の淵に沈められた。後にこの場所は「つるこ淵」または「七日淵」と呼ばれるようになった。また、鶴姫の供養のためにつるこ淵に沈められた鐘が「鶴姫の鐘」として市内鬼生田の広度寺に伝わる。
木村氏の滅亡後、田村氏の持ち城となったが、天正十四年(1586年)田村清顕が没した後は、伊達政宗の命により、田村氏の家臣・橋本刑部が入城し、この地を治めた。
その後、伊達政宗が豊臣秀吉に従う際、忠誠を示すために多くの城が破却され、木村館も同様に破却されたとみられる。