白川城 (しらかわじょう) (搦目城) (県の史跡)
所在地 福島県白河市藤沢山 2011.4.7 2015.6.14
白川城 (しらかわじょう) (搦目城) (県の史跡)
所在地 福島県白河市藤沢山 2011.4.7 2015.6.14
説明板
登城ルート(緑線は車道)
階段・城址碑
後村上天皇聖蹟之碑
結城宗広公神社
土塁・忠烈碑
白川城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 白河小峰城跡の南東3kmの藤沢山にある。県道232号線の「八竜神神社」近くの交差点を東に500m行き左折し、300mほど行くと城跡の下に着く[マップコード203 418 374*86]。
そこより北に登るとすぐ「白川城跡」主郭があり、土塁が残っている。
2011年3月11日14時46分に発生した東北大震災のため、マンホールが飛び出た道をゆく。頂上の本丸曲輪の「後村上天皇聖蹟之碑」の石碑が倒れていた。結城宗広公を祀る神社が建てられ、西側の土塁の上に宗広公の顕彰碑「忠烈碑」が建てられている。
昭和二十八年(1953年)10月1日、福島県の史跡に指定された。
【歴史】 源頼朝による奥州合戦の結果、結城城主朝光は文治元年(1189年)白川庄の地頭となった。孫の祐広は正応二年(1289年)頃移り住んだ。
白川結城氏はこの城を本拠として、北関東から奥州にかけ活躍した。特に祐広の子宗広と孫親光父子は南朝方の中心的存在として奥州軍を率い京都周辺まで、2度も遠征し北朝方の足利尊氏軍と戦ったが、次第に衰退していった。
永正七年(1510年)、惣領の結城政朝が一族の小峰氏によって追放された(永正の変)。これにより小峰氏の血筋による新たな白河結城氏が成立した。また、この頃に結城氏の本拠も白川城から小峰城に移ったとされる。
天正三年(1575年)小峰義親が宗家の義顕を追放した際に本拠が移されたともいわれる(天正の変)。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥羽仕置で白河結城氏は改易され、約400年に及ぶ南奥支配は終焉を迎えた。