稲荷城 (いなりじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡東吾妻町原町2740 2019.1.23
稲荷城 (いなりじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡東吾妻町原町2740 2019.1.23
登城ルート
稲荷神社
南の郭
主郭南側空堀
主郭・土塁
西側空堀
西の郭・土塁
稲荷城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 四万川とその支流須郷沢川との間を東へ伸びた比高20m弱の丘陵の先端に築かれている。
東西約50m南北約30mの方形の主郭は、周囲に高さ2~4mの土塁を巡らし、南と西に空堀で隔てて郭がある。全体的に草が刈られ、土塁や空堀がよく残っている。
西の郭は凸凹しており、墓石があり、土塁が残り、西端の台地と空堀で隔てている。
【案内】 県道234号線に面した表記番地の塀横に何とか駐車出来る[マップコード295 594 227*54]。その先の稲荷神社の階段を登り、拝殿左より北へ進み、民家裏に回ると南の郭がある。その北に空堀、主郭がある。
【歴史】 築城時期は定かではないが室町時代、大野氏の居城であった。
貞和二年(1346年)吾妻太郎行隆が里見氏との戦いで敗死した後、その家臣秋間・大野・塩谷の3氏が吾妻の実権を握った。
文明五年(1473年)塩谷・秋間両氏を圧倒して吾妻全土を掌握した大野憲直は家臣で岩下城主の斉藤憲次に植栗河内守元吉の討伐を命じたが、斉藤憲次は逆に元吉の兵と合して大野氏の稲荷城を襲い、大野氏を滅ぼした。
斉藤氏はその後吾妻の諸士を従えて、岩櫃に君臨した。