タカナシ館 (三城目城) (町の史跡)
最寄地 福島県西白河郡矢吹町本城舘556 2020.5.24
タカナシ館 (三城目城) (町の史跡)
最寄地 福島県西白河郡矢吹町本城舘556 2020.5.24
登城ルート(緑線は車道)
県道横の説明板
主郭東の段郭
主郭東の空堀
城見
主郭・土塁
主郭2郭間の空堀
2郭西の空堀・3郭
タカナシ館 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 矢吹町本城舘の比高20m程の台地に築かれており、主郭の南西に空堀で隔てて2郭、3郭と配置されている。
主郭は広く、畑として利用され北西側に土塁が残り、2郭は杉林、3郭は草地となっている。
主郭の南東側に泉川屋敷、城見の段があり、屈曲した大手道や空堀が見られる。2郭の南東に月輪曲輪がある。
【案内】 県道42号線の表記番地東の切通しの先に説明板が建てられている[マップコード61 136 722*73]。そこから北に農道を約150m行った所に駐車スペースがある(地図)。
矢吹町の史跡に指定されている。
【歴史】 鎌倉時代、小松越前守が築城したと云われ、後に安積伊藤氏一族の伊藤氏代々の居城となった。
永禄年間(1558~70年)伊藤大学祐春が没すると、隣村の国神城主・中畠上野介晴辰は幼少な祐勝に城の引き渡しを迫った。
戦の勝ち目のない祐勝は、その申し出を受け入れ、そのまま晴辰の城となり、伊藤祐勝はそのまま帰農して、江戸時代を通して三城目村の庄屋を務めた。
天正十八年(1590年)八月、豊臣秀吉の奥州仕置きで、石川氏は改易され、中畠晴辰は追放され、相馬の旧縁を頼って落ち延びる途中、行合(現郡山市田村町)の渡しで付近の農民や浪人に殺害された。タカナシ館はそのまま廃城となった。