八百岐館 (やおきやかた)
最寄地 茨城県常陸太田市瑞龍町1587−1 2020.4.25
八百岐館 (やおきやかた)
最寄地 茨城県常陸太田市瑞龍町1587−1 2020.4.25
館跡
館跡の段差
墓地
外城の碑
八百岐館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 小野崎城の北北西約600mの台地端部にあり、東側の台地基部に堀跡が見られる。堀跡は南の道路となって続いている。
竹林の中に段差が見られるが、他に遺構は見られない。北東の民家の「外城」の碑が城であったことを偲ばせる。
【案内】 市立瑞竜中学校西より北に500m程行き左折して約150mの道路右に堀跡があり、南の道路に続いている[マップコード47 798 684*28](地図)。
その西の表記番地北西が館跡で、竹林の中に段差が見られ、右に墓地がある。
北東の道路横の民家敷地に「外城」の石碑が建てられており、城跡であったことが判る(地図)。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、小野崎氏の庶流通綱が館主と云われる。
延徳元年(1489年) 山入家を継いでいた佐竹義藤の要請で陸奥の伊達・葦名・結城の軍勢が常陸へ侵攻してきた際、主君の佐竹義治の身代わりとなって家老・小野崎通綱は討死した。
この功によって通綱の子通老は河合350貫、石神350貫の地を与えられ、石神城を築いて移り石神小野崎氏となった。この後、八百岐館は廃されたと云われる。