奥瀬館 (おくせだて)
最寄地 青森県十和田市奥瀬上通47 2016.6.6
奥瀬館 (おくせだて)
最寄地 青森県十和田市奥瀬上通47 2016.6.6
登城ルート(緑線は車道)
林道入口
主郭跡
石碑
井戸跡
奥瀬館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 民家(表記番地)の西に、集落林道「上川目公園線」標柱があり、林道を南に300mほど行き[マップコード612 867 875*41]、右に大きく登ると館跡である。井戸跡があり、「霊祖奉養碑」等3基の石碑が建てられている。
東西50m南北100mほどの規模の平山城であり、北半分は桜が植えられ公園となっている。南半分の馬場跡は杉林となり、藪化している。
【歴史】 築城年代は不明であるが、甲斐から南部家に供奉して糠部に下った四天王の一人小笠原安芸守の末裔で、「幕の後七家」の一人である奥瀬氏の居城とされる。
天文八年(1539年)六月、家老奥瀬安芸守は所領の境界を巡って訴訟を起こした赤沼備中守によって斬られ、本三戸城が放火により炎上、消失した。
天正十九年(1591年)の九戸政実の乱の時、奥瀬氏は南部信直に味方し、慶長三年(1598年)の『館持支配帳』には「奥瀬館、千石、奥瀬内蔵之介」とある。