壬生城 (みぶじょう)
所在地 栃木県下都賀郡壬生町本丸1‐8 2013.9.22
壬生城 (みぶじょう)
所在地 栃木県下都賀郡壬生町本丸1‐8 2013.9.22
門・塀
橋・堀・土塁
堀・土塁
城址公園
壬生城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 本丸跡は中央に噴水のある「壬生町城址公園」(表記番地)として一般開放され、駐車場が用意されている[マップコード74 606 696*33]。
駐車場の南に門、築地塀が復元され、水堀、土塁もよく整備されている。「中央公民館」「図書館」「歴史民族資料館」が建てられている。
【歴史】 文明年間(1469~87年)壬生氏第二代・壬生綱重によりに築城された。
約100年間壬生氏の居城であったが後北条氏に味方していたため、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、北条氏とともに滅亡した。
その後結城氏、日根野氏が1万石、次に阿部忠秋が2万5千石で入り、阿部氏が移封となった後は、三浦正次、松平輝貞、加藤明英、と城主が目まぐるしく入れ替わった。
正徳二年(1712年)鳥井忠英が3万石で封じられてから鳥居氏が8代続いて、明治維新を迎えた。
慶応四年(1868年)の戊辰戦争では官軍の宇都宮城攻略の拠点となった。城郭には天守や櫓は建てられず、比較的簡素なつくりであった。
本丸には御殿があり、江戸初期には将軍の日光社参の宿舎となった。本丸の他の郭としては、二の丸、東郭、下台郭、正念寺郭があり、これらの郭は土塁と堀で囲まれていた。
現存する建物としては、鹿沼市磯の民家および小山市の民家に、それぞれ城門といわれるものが移築され現存している。