中野館 (なかのたて) (飛鳥川館)
所在地 岩手県盛岡市茶畑1丁目1 2017.4.23
中野館 (なかのたて) (飛鳥川館)
所在地 岩手県盛岡市茶畑1丁目1 2017.4.23
らかん公園より松尾神社方面
松尾神社
堀跡
主郭(推定地)
中野館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 高層住宅が建つ市街地の中で、主郭北は崖となり、城跡の雰囲気が漂う。松尾神社との間に堀跡のような窪みが見られる。
【案内】 盛岡バイパス「茶畑二丁目」交差点より西へ約400m行くと「らかん公園」があり、その北松尾神社の建つ一角が館跡とされる。主郭は最高所の月極駐車場になっている[マップコード81 679 866*62](地図)。
【歴史】 館主は九戸政実の弟、中野吉兵衛康実であった。
三戸南部氏と抗争してきた高水寺城主斯波詮真が、南部晴政の圧力に屈して、元亀二年(1571年)九戸政実の弟弥五郎を女婿として受け入れ、入嗣後に知行地として高田村が与えられ高田吉兵衛康実と名を改めた。
しかし当主が詮真からその子・詮直(詮元)に替わると確執して、天正十四年(1586年)康実は南部信直の下へ出奔、信直より中野館を与えられて中野吉兵衛康実と名乗った。
これ以降、康実は南部氏側の斯波氏攻略の急先鋒となり、天正十六年(1588年)に南部氏は斯波氏を滅亡させた。