湖水城 (こすいじょう) (湖水館)
最寄地 宮城県登米市東和町錦織小童子93−19 2019.11.9 2020.1.3
湖水城 (こすいじょう) (湖水館)
最寄地 宮城県登米市東和町錦織小童子93−19 2019.11.9 2020.1.3
登城ルート
かすかに読める標柱
南側下段
切岸
上段曲輪(薮)
機織沼
湖水城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高10m】
【感想】 東和町錦織の機織沼西の微高地にあり、東西に細長い主郭の南側に2段の帯郭が見られた。
下段ははっきりしているが、中段、上段は踏み込むのも憚れるような状態であった。民家左側に「湖水館跡」の標柱があるが褪せてやっと文字が読めた。
【案内】 県道346号線に面した「登米市消防署東出張所」(表記番地)より北へ100mほど行った台地に築かれている[マップコード199 228 598*68]。
東側の機織沼は小白鳥の飛来地であるらしく、訪れた時、薄氷の張った湖面に賑やかな鳴き声が満ちていた。湖畔の「機織沼と伝説」の説明板に、湖水城の記述がある。
【歴史】 葛西氏の家臣で在地土豪西郡氏の居館とされる。
天正十八年(1590年)葛西氏の将として石巻市河南の須江に出陣した。
葛西氏が滅亡した翌天正十九年(1581年)、西郡新左衛門は葛西大崎一揆に参加し、桃生郡深谷で伊達政宗の鎮圧軍と戦い討死したという。