須賀川城 (すかがわじょう)
所在地 福島県須賀川市宮先町78 2013.11.10 2020.5.24
須賀川城 (すかがわじょう)
所在地 福島県須賀川市宮先町78 2013.11.10 2020.5.24
城址碑・二階堂神社
二階堂神社
長松院
長松院西側の土塁・空堀・説明板
須賀川城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 須賀川市中心部の二階堂神社一帯に築かれており、市街地化により遺構はほとんど消滅しているが、神社の建っている櫓台が残っており、南西側の長松院西側に土塁と空堀の一部が残っている。
二の丸は本丸東から南にかけてのL字形で、東邦銀行や「まちなかプラザ」(須賀川市中町4-1)付近迄であった。
【案内】 城主であった二階堂氏に因んで本丸跡に二階堂神社(表記番地)が建っている[マップコード61 435 309*41]。
正面左に東北大地震で倒壊していた「須賀川城址」の石碑は後日復旧された。大欅が鳥居の両側に伸びている。他はほとんど市街地となっている。
南西側台地にある長松院(須賀川市諏訪町88)の西側に、土塁と空堀が見られる、説明板が建てられている(地図)。
【歴史】 応永六年(1399年)足利満兼が奥州支配のため遣わした満貞・満直の配下の二階堂行続が築城した。
天正九年(1581年)二階堂盛義が死去すると、後室の大乗院が城主となり、伊達氏との対立を深めていった。
天正十七年(1589年)伊達政宗との戦に敗れた大乗院は佐竹氏に逃れ、政宗は一族の石川昭光に須賀川城を与えた。
天正十八年(1590年)秀吉の奥州仕置によって須賀川周辺は蒲生氏郷領となり、配下の田丸具直が須賀川城主となった。
慶長三年(1598年)上杉景勝が会津に入り部下の栗田国時が愛宕山の城から統治した。
慶長六年(1601年)蒲生秀行が会津藩主となると家臣の蒲生郷成が須賀川城に入り、寛永四年(1627年)加藤嘉明が会津藩主となった後、間もなく廃城となった。