寺池城 (てらいけじょう) (臥牛城・登米要害)
所在地 宮城県登米市登米町寺池桜小路105-3 2013.11.8 2019.11.9
寺池城 (てらいけじょう) (臥牛城・登米要害)
所在地 宮城県登米市登米町寺池桜小路105-3 2013.11.8 2019.11.9
大手石垣・標柱
城址公園・井戸
二の丸・家庭裁判所(現在)
本丸切岸・秋葉山
本丸
養雲寺の山門
寺池城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 北上川の西、県道36号線より北に行った「仙台家庭裁判所登米支部」(表記番地)が二ノ丸跡に建てられており、その駐車場が利用できる[マップコード105 859 338*81]。途中の大手道に沿って、門、石垣、堀切がある。
本丸跡は二の丸の北背後の最高所にあり、虎口付近に秋葉山の石碑が祀られ、畑や竹林となっている。
二ノ丸の南側に「寺池城址公園」があり、公園内に井戸が残っている。
養雲寺(登米町寺池道場19)の山門(四脚型楼門・市指定文化財)は、奥州仕置により前身の寺池城が廃城となった際、山門として移築されたものであるとされる(但し、当時は永明寺)[マップコード105 828 680*41]。茅葺きであったが、近年銅板葺に吹き直されている。
同市内の民家(熊谷弓麿氏邸)にも廃城令で払い下げられたとされる門が現存している[マップコード105 828 710*76]。
【歴史】 築城年は不明だが南北朝時代、葛西氏により築城され、石巻城より移ったとされる。近郷7郡30万石を所領とした。
天正十八年(1590年)秀吉の奥州仕置により葛西晴信は改易、木村吉清が葛西氏、大崎氏の旧領30万石を与えられ寺池城を居城とした。
しかし葛西大崎一揆が勃発、一揆軍に占領されると木村吉清は佐沼城に逃れた。その後寺池城は伊達政宗により落城した。
慶長九年(1604年)伊達政宗の家臣白石宗直が水沢城より転封され居城とした。
その後、白石氏は伊達氏を名乗ることを許され、寺池城は一国一城令の後は登米(とよま)要害と称し、幕末まで登米伊達氏の居城であった。