大河原城 (おおかわらじょう) (龍崖山城)
最寄地 埼玉県飯能市大河原584 2017.10.4
大河原城 (おおかわらじょう) (龍崖山城)
最寄地 埼玉県飯能市大河原584 2017.10.4
登城ルート
軍太利神社
殿屋敷・土塁
東側斜面
竪堀
主郭
龍崖山の碑
南側堀切
大河原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 入間川右岸の標高244.8mの龍崖山にある。北側の堀切は確認できないが、南側の堀切はよく残っており、右の竪堀に続いている。西側はほとんど分からない。
南の堀切から尾根を少し下ると、工業団地が現れた。同じ市内の吾野(坂石町分)に龍崖山城があり、混同しないよう留意する必要がある。
【案内】 「大河原自治会館」(表記番地)北の市道に駐車できる[マップコード91 252 719*33](地図)。八耳堂(はちじどう)西の軍太利(ぐんだり)神社から登る。
少し登ると、北東側に「殿屋敷」の平坦地があり、北側に土塁が残る。急斜面を登り、尾根より右に登ってゆくと竪堀があり、木が多数渡されている。
最高所に主郭があり、「龍崖山の碑」が建てられ、祠が祀られている。
【歴史】 「八耳堂と軍荼利神社」の説明板には以下のように記されている。「八耳堂は真言宗の寺・金輌山無量院金蔵寺の仏堂で、太子堂とも呼ばれている。
本尊は聖徳太子を祀り、保元年間(1156~1158年)に建立されたといわれているが、現在の建物は文政三年三月(1802年)に再建されたものである。
この奥手に軍荼利神社があり、鎌倉時代の建仁二年(1202年)飯能地方の武士、大河原四郎が創建したと伝えている。
大河原氏は、この地方の殿屋敷と呼ばれる場所に居住し、当社の南方に位置する龍涯山に砦を造って非常時に備えると共に、金蔵寺とこの神社を厚く信仰したという。神社は天和二年(1682年)火災にあったが、のちに再建された。