玉縄城 (たまなわじょう)
最寄地 福島県大沼郡金山町川口下岩下1401 2016.10.7
玉縄城 (たまなわじょう)
最寄地 福島県大沼郡金山町川口下岩下1401 2016.10.7
登城ルート
登り口(中央)
2郭の古峰原神社
舛形虎口手前の堀切と土橋
段郭北の堀切
主郭・説明板・土塁
南背後の堀切
居館跡の土塁と祠
玉縄城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高200m】
【案内・感想】 国道252号線の川口橋を渡りトンネル手前を左折し、ごみ置き場横に駐車スペースがある[マップコード397 122 117*50]。少し南に行くと、説明板が建てられ、その右の民家の間の坂道が登り口(地図)となっている。
朽ちた木道があり、しばらく登ると両側は急斜面で細く急な尾根道となる。チェーンに掴まり上り詰めると、古峰原神社のある2郭の山頂に出る。ベンチが置かれ、眼下に野尻川の清流を挟んで金山町役場や居館一帯を望める。
一旦下り鞍部を経て、再び登ってゆくとなだらかな平坦地があり、桝形虎口に至る。土橋の両側に堀切があり、桝形の土塁が残っている。その先に段郭が2つほどあり、堀切が残っている。
標高484m比高約200mの最高所に主郭があり東 (右側)から南にかけて、崩れた土塁が残っている。外れた説明板がある。南に下ると、幅は無いが、2、3mの土塁を廻した三日月状の空堀が残っている。
玉縄城跡は昭和四十三年(1968年)3月、金山町の史跡に指定されている。
【居館跡】 案内図を頼りに推定すると、「福島県会津農林事務所 金山普及所」一帯となっており、居館跡の土塁があり、祠が祀られている[マップコード397 093 784*47](地図)。
【歴史】 山ノ内氏は、広域の領内支配体制を強固にするため、一族を領内各地に分封させた。
その一環として天文十三年(1544年)山ノ内俊清は中丸城を長男の舜通(きよみち)に譲り、末子俊甫(としもと)と共に只見川と野尻川の合流する地点に城館を築き、玉縄城と名付けた。
天正十七年(1589年)伊達軍の奥会津侵攻後、山ノ内の全領土は蒲生氏のものとなった。玉縄城主川口俊安は伊達政宗に臣従し、川口を捨てて一族と共に奥州白石に移った。