宍倉城 (ししくらじょう)
所在地 茨城県かすみがうら市宍倉453 2015.2.21
宍倉城 (ししくらじょう)
所在地 茨城県かすみがうら市宍倉453 2015.2.21
登城ルート
土橋・空堀・虎口
本丸跡・城跡碑・説明板
説明案内板
本丸跡
城之内稲荷神社
西側空堀
宍倉城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道118号線の最勝寺(かすみがうら市宍倉787)より南東に約600m行った交差点より(駐車場はないので最寄に停め、徒歩が良い)西に約50m行ったところに空堀があり、土橋がある[マップコード112 115 487*85]。
土橋を登った虎口に「宍倉城跡」の碑、説明板が建てられている。比高10m、東西約140m、南北約50mの本丸跡は、畑となっており、北西隅に「城之内稲荷神社」(表記番地)が建てられている。
本丸の南に一段下がって「館下」と呼ばれる腰郭があり、西から北にかけて「搦」の空堀がある。市の指定史跡になっている。
【歴史】 永享年間(1429~41年)野田遠江守の居城であったが、その後菅谷氏の支配となり、文亀年間(1501~04年)には菅谷隠岐守貞次が城主であった。
菅谷氏は小田氏の有力な武将で、当時出島の半分を領有していた。天正元年(1573年)七月、佐竹氏の攻撃を受け、佐竹氏の家臣となったと云われている。
慶長七年(1602年)佐竹氏の秋田国替えによって、廃城となった。『かすみがうら市教育委員会説明板』より。