花沢館 (はなざわたて) (国の史跡)(道南十二館)
最寄地 北海道檜山郡上ノ国町勝山176 2014.8.5 2017.7.11
花沢館 (はなざわたて) (国の史跡)(道南十二館)
最寄地 北海道檜山郡上ノ国町勝山176 2014.8.5 2017.7.11
説明板
登り口・館跡石碑
北側下段の曲輪(屋敷跡) ・説明板
階段状の郭
主郭切岸
主郭跡
主郭南端の土塁
南端の堀切
花沢館 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 国道228号線の南に、上国寺寺務所(表記番地)の東と公園の間に登り口がある[マップコード807 763 629*57](地図)。
比高50mほどの丘陵の先端にあり二段の郭、説明板のある広い郭(屋敷跡) 、階段状の郭、南北に細長い主郭と並んでいる。主郭の南端は土塁があり、その先に堀切が残っている。
昭和五十二年(1977年)4月12日、「上之国館跡」として勝山館跡と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 十五世紀頃、和人・渡党と称される本州系の人々が、北海道南部へ進出の拠点とした築いた道南十二館と云われる館の一つである。
この頃の渡島半島は津軽の安東氏が「下之国」(上磯町~函館市付近)、「松前」(松前町を中心とした地域)、「上之国」(上ノ国町を中心とした地域)に守護を置いて統治していた。下之国守護は茂別館、松前守護は大館、上之国守護は花沢館にいてそれぞれ治めていた。
本道最古の記録『新羅之記録』には、長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いの際、館主蠣崎季繁や客将の武田信広(のち松前氏1世)が花沢館をよく守ったことが記されている。また別の記録では小山隆政の館とも云われる。
昭和二十年頃頂上部が耕作されたとき約二千枚の古銭が、近年舘跡後方部より十五世紀後半の珠洲焼の擂鉢が多数発見された。