加園城 (かぞのじょう)
最寄地 栃木県鹿沼市加園975 2015.2.7
加園城 (かぞのじょう)
最寄地 栃木県鹿沼市加園975 2015.2.7
登城ルート
南曲輪・標識
本丸下空堀
本丸・土塁
南曲輪・標識
南曲輪・神社
外側空堀
加園城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 飯塚石灰工業所(表記番地)の、立ち入り禁止の看板がある道(公道)終点先のゴルフネット横に登り口があるが、標識はない(地図)。
許可が得られない場合は山の西側に回り込んで農家の北側より直登する(地図)。西の曲輪まで比高約40mであるが、南側は断崖で注意を要する。空堀、土塁が残っている。
その東に、細い尾根を行くと比高60mの山頂に本丸跡がある。本丸跡は差渡し約50mあり、土塁が巡らされ、本丸の西から南にかけて空堀がよく残っている。殊に北の尾根に続く方の土塁は5m以上と高い。
本丸跡の南に神社の建つ二の曲輪があり、本丸に近い土塁上に「加園城跡」の標識が立てられている。
本丸と二の曲輪を含めて西側に空堀がある。二の曲輪の南西の土橋を通って行くと、西の曲輪との中間に南斜面に竪堀がある。そこを通って下ると、飯塚石灰工業所の北の登り口に出る。
【歴史】 宇都宮氏の家臣の渡辺綱重が天文二十年(1551年)に築いたとされる。綱重の父の渡辺忠綱が宇都宮公綱に臣従した頃、築いたとも云われる。
渡辺氏は宇都宮氏から小山氏に主君を変え、永禄四年(1561年)の上杉謙信の関東遠征では小山氏に属し、謙信に従ったが渡辺右衛門尉が討死した。その後、渡辺氏の動向は不明である。