内山城 (うちやまじょう) (仙蔵城・千道の要害)
最寄地 群馬県吾妻郡中之条町折田2067 2019.1.23
内山城 (うちやまじょう) (仙蔵城・千道の要害)
最寄地 群馬県吾妻郡中之条町折田2067 2019.1.23
登城ルート
国道横の登り口・標識
2郭切岸(南の鉄塔)
2郭・祠
大堀切(横から)
主郭(北の鉄塔)
主郭東の堀切
内山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 四万川左岸の標高584.9mの山頂に主郭があり、南に大堀切を挟んで2郭がある。主郭は急な切岸で囲まれているが、意外と狭かった。大堀切は深く急で見応えがある。
主郭北側の尾根にも堀切や小郭が残っているが、こちらは藪化している。
【案内】 国道353号線の横に登り口がある[マップコード295 651 884*03](地図)。国道を100mほど戻った付近が少し広く、路肩に駐車スペースがある。
少し登ると、「内山城址(仙蔵の要害)」の標柱と説明板が建てられている。
鉄塔管理道を登り、尾根に出、北へ登ってゆくと、南北に細長い郭がある。さらに登ると南の鉄塔に着き、その先に2郭があり、祠がある。
北に大堀切を挟んで主郭があり、東側に北の鉄塔が建っている。
南約1㎞の四万川対岸の山頂に桑田城がある。
平成六年(1994年)12月1日、中之条町の史跡に指定された。
【歴史】 嵩山城の重要な支城とされる。『加沢記』に、戦国時代末の永禄六~八年(1563~65年)に仙蔵城(要害)の名が見られる。
同八年(1565年)の嵩山合戦で、武田方の真田幸隆が「仙蔵の要害に懸け上がり、軍の下知をし給けり」と同書に記され、真田勢はこの城を足掛かりとしたが、嵩山城の落城後は存在意義も薄れ、廃城となった。