後藤寿庵館 (ごとうじゅあんやかた)
所在地 岩手県奥州市水沢西田173−1 2021.5.24
後藤寿庵館 (ごとうじゅあんやかた)
所在地 岩手県奥州市水沢西田173−1 2021.5.24
農村公園
説明板
石碑
後藤寿庵廟堂
福原墓園
後藤寿庵館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 北上川の支流胆沢川の南に位置する水田に囲まれた微高地にあり、方形の館跡は公園となっている。
南約600mにはクルス場と呼ばれる福原墓地があり、弾圧によって仏教に改宗させられた人々は、ひそかに黒州婆の文字を使用したという。
【案内】 県道236号線より西に行った表記番地の南に「福原農村公園」があり、北西隅に「後藤寿庵廟堂」が祀られている[マップコード142 765 510*75]。
【歴史】 慶長十六年(1611年)、伊達政宗の家臣であったキリシタン武士・後藤寿庵が1200石の領主として、この地に館を構えた。
館の東側には東西約600mの侍小路があり、両側を屋敷割して家臣を住まわせた。
政宗の信頼厚く胆沢川に寿庵堰を設けて水を引き、荒野であった胆沢川扇状地を有数の穀倉地帯と云われる礎を築いた。
元和九年(1623年)キリスト教に対する弾圧が強まり、翌年寿庵は逃亡するが、残った家臣は改宗を余儀なくされ、留守家の配下に組み込まれた。