新城館 (しんじょうだて)
所在地 福島県白河市大信中新城内屋敷 2020.5.25
新城館 (しんじょうだて)
所在地 福島県白河市大信中新城内屋敷 2020.5.25
配置図
新城館の標識
明眼院
明眼院の五輪塔
明眼院北の土塁
北西の土塁・空堀
新城館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 大信中新城内屋敷の一帯が館跡と思われ、その縁辺に土塁が点在している。
特に北西に土塁空堀がよく残っている。北東の鹿嶋神社との間にも土塁が点在し、南は隈戸川までと推定される。
【案内】 明眼院(大信中新城西畑20)に駐車できる[マップコード61 122 291*20]。
明眼院の東約100mに標識が建てられている(地図)。
明眼院と用水路を挟んだ北に土塁が見られ、更に北に約180m行った集落の北端に土塁と空堀が残っている(地図)。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)初め、新城備後守が館主であり、白河結城氏に従っていたが、二階堂氏家臣で和田城主の須田盛秀の調略により、二階堂氏に寝返った。
そのため、永禄三年(1560年)白河結城晴綱は家臣の新小萱(にこがや)篤綱を大将として新城館を攻めさせた。しかし、援軍で駆け付けた保土原行藤軍の矢を受け、篤綱はその傷が元で死没した。
新城館の館主は新城備後守の後、須田近江守定綱になったという。