四方田氏館 (よもだしやかた)
最寄地 埼玉県本庄市四方田82 2015.12.19
四方田氏館 (よもだしやかた)
最寄地 埼玉県本庄市四方田82 2015.12.19
光明寺
空堀1
空堀2
金鑚神社・産泰神社
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道86号線「四方田住宅入口」交差点より、上越新幹線高架下を、南に200m行くと金鑚神社・産泰神社(本庄市四方田288-1)がある。拝殿前に「金佐奈神社」由緒が建てられている。住所の四方田は「しほうでん」、人名の四方田は「よもだ」と読む。
西方に200mほど行った光明寺(表記番地)の東に空堀1(地図)があり南北に延びている。
東の民家の横にも空堀2(地図)がある。北側の道路横には堀跡と思われる用水路がある。
【歴史】 四方田(しほうでん)は、武蔵七党の児玉党に属した四方田(よもだ)氏の本貫地であった。堀の内には四方田館跡があり、金鑚(かなさな)神社境内はその東端にあたる。
『児玉郡誌』によれば、四方田五郎左衛門資綱(すけつな)が、城砦を築きその守護神として金佐奈神社を勧請したものであるという。
延元二年(1337年)北畠顕家(あきいえ)が薊山合戦の時、神社に戦勝を祈願し、勝利を収めることが出来、兜を奉納した。『「金佐奈神社」由緒抜粋』より。