桑窪城 (くわくぼじょう) (桑久保城)
最寄地 栃木県塩谷郡高根沢町桑窪1606-3 2015.1.25
桑窪城 (くわくぼじょう) (桑久保城)
最寄地 栃木県塩谷郡高根沢町桑窪1606-3 2015.1.25
登城ルート
二の丸虎口
二の丸
本丸虎口の土橋・城跡碑
本丸南側空堀
本丸・櫓台・祠
本丸西側空堀
桑窪城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 徳明寺南の道路を東に50mほど行くと、「桑久保城跡入口」の碑が建てられている[マップコード39 682 669*18]。左折し表記番地横に駐車スペースがある。
登ると梅林の二の丸の平坦地がある。その北の馬出とみられる土塁上に「桑窪城跡」の石碑と案内板が建てられている。
空堀、土橋を渡ると本丸がある。本丸の周囲は空堀と土塁が巡らされ、落葉等の堆積もなく良く保存されている。東西約50m南北約80mの長円形で北の一番高い土塁は櫓台とされ、祠が祀られている。
昭和五十四年(1979年)10月10日、高根沢町の史跡に指定された。
【歴史】 建久年間(1190~99年)桑窪修理助秀春か谷口筑前守の築城とされる。城主には『宇都宮記』に和久保の城主矢口筑前守、『那須記』に小和久保城主矢口筑前守の記載がある。桑久保城は稲毛田城(芳賀町)の支城と伝わる。
その後宇都宮氏が正平年間(1346~70年)に稲毛田城を滅ぼし、時期不詳だが『下野国償那帳』に、相田邦溝三郎の城を攻め落とした際に、八木要害が自落したとみえる。八木要害は桑久保城である可能性が高い。
城主矢口(谷口)氏は在地の土豪で戦国時代末期には、宇都宮氏に属し、桑久保城は那須氏に対抗する前線基地であったようだ。『桑久保城跡説明板』より。