江ヶ崎城 (えがさきじょう)
最寄地 埼玉県蓮田市江ヶ崎1156-3 2015.12.23
江ヶ崎城 (えがさきじょう)
最寄地 埼玉県蓮田市江ヶ崎1156-3 2015.12.23
城跡碑
みずほ団地
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道154号線の信号交差点の北のセブンイレブン(表記番地)駐車場の左手に「江ヶ崎城跡」の石碑(平成二年:地図)が建てられている。
その北200mの「みずほ団地」住宅地が本丸跡(地図)とされている。
【由来】 昭和三十二年・三十三年、学習院大学史学部が中心となって発掘調査が行われた。その結果、内郭(本丸)は東西60m南北67mの方形で、南側に入口を持ち、周囲を高さ1.5mの土塁と幅4.5m深さ1.8mの薬研堀で囲まれていた。
外郭は東西165m南北130mのほぼ方形で一部堀が認められている。
出土品は鎌倉時代、室町時代の陶磁器、土器、釘、武具などで、特に注目されるのは、安土桃山時代の志野茶碗の破片であった。
【歴史】 武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)の一つ野与党に属する鬼窪氏が有力視される。
野与基永の嫡子行基の子定綱が鬼窪氏を名乗り初代となった。『吾妻鏡』に宗尊将軍(後嵯峨天皇の皇子)に随兵した鬼窪左衛門入道、鬼窪又太郎らはその子孫とされる『武蔵武士』。
伝承による江ヶ崎城主鬼窪尾張守繁政もその末裔と伝えられている。『続埼玉の城址めぐり』(西野博道編著136ページ)より。