三島館 (みしまだて)
所在地 福島県二本松市下川崎三島舘山 2020.1.25
三島館 (みしまだて)
所在地 福島県二本松市下川崎三島舘山 2020.1.25
南側の入口・館跡碑
朝倉弥曽八の頌徳碑・駐車場
主郭・顕彰碑
三島神社
三島館回廊跡
回廊跡(帯郭)
中館(左の山頂)・岩倉館(右の山頂)
三島館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 二本松市下川崎三島舘山の丘陵に築かれており、城域は南北200mに及ぶ。
南側の山頂に物見台があり、北側に三島神社のある主郭がある。明確な遺構は少ないが、神社の西側に回廊跡(帯郭)があり、物見台南の尾根に堀切がある。
【案内】 県道39号線「川俣安達線」より南に行った三島神社境内となっている。
南側参道入口に「三島館跡」の碑が建てられている[マップコード129 765 435*25]。そこから北へ行くと、駐車場が用意され、説明板が建てられている。
駐車場には明治四十年に小学校用地取得に功のあった朝倉弥曽八他十名の頌徳碑があり、物見台北側に放光王地蔵尊や忠魂碑など多数の石塔が建てられている。
物見台南西側低地に、桜や三椏が植栽された「三島舘公園」がある。
三島館は、中館・岩倉館の3館から成り、中館は三島館の西側山頂にある(地図)。
岩倉館は北西に位置し(地図)、廃棄物最終処分場が東側の谷に設けられフエンス出囲まれ施錠されている。
【歴史】 応永十二年(1405年)、二本松城主・畠山宮内少輔国詮の長子である畠山上野介満国は、川崎村を与えられ三島館を築き、川崎次郎満国を名乗った。
以降、満国はとして2代持久・3代持勝・4代政兼・5代宗頼と続いた。
元亀三年(1572年)川崎畠山氏は5代宗頼の時、宗家である二本松城主・畠山義国と争って敗れ、宗頼は殺害された。
その後、天正二年(1574年)畠山氏の家臣・遊佐内蔵頭重明が三島山の隣に岩倉館を築き、三島館跡地を三島神社へ寄進した。
天正十三年(1585年)に伊達政宗の侵攻を受け、遊佐重明の岩倉館も落城した。『現地説明板』より。