額田城 (ぬかだじょう)
最寄地 茨城県那珂市額田南郷71-3 2016.2.27
額田城 (ぬかだじょう)
最寄地 茨城県那珂市額田南郷71-3 2016.2.27
3郭・標柱
2郭3郭間空堀
2郭本丸間空堀
2郭東端・説明案内板
本丸東側空堀
本丸・土塁
額田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道349号線と県道62号線の交差点より県道62号線を東に約100m行き、右折して南に約150m行ったT字路に道標がある。左折した表記番地の西に入口があり3郭(地図)に若干の駐車スペースがある。
また交差点より県道62号線を東に約460m行った右に「額田地区交流センター」に駐車場が用意され[マップコード47 558 544*41] 、南に約150m行くと2郭の東端に出る。
3郭は広く、7戸の宅地となっている。2郭と本丸は遊歩道が整備され、空堀も良く手入れされている。
南に空堀で隔てて東西に細長い2郭(地図)があり、土塁からの深さ5m以上のコの字形の空堀で隔てて、東西約140m南北約150m面積約1万6千㎡の本丸跡がある。
平成十年(1998年)6月23日、那珂市の史跡に指定された(本丸と2郭を含む約7万7千㎡)。
【歴史】 建長年間(1249~56年)佐竹氏5代義重の二男義直が、この地に築城し、額田氏を称した。
10代義亮の時、佐竹氏宗家と対立し、応永三十年(1423年)佐竹氏13代義人に攻められ落城、額田氏は滅亡した。
その後、義人の家臣小野崎氏が城主となり、以後7代照通まで続いたが、天正十九年(1591年)佐竹氏20代義宣に、照通に異心ありとして、攻められ落城した。
照通は陸奥へ逃れ、以後廃城となった。城の歴史は17代約340年間続いた。