矢部館 (やべやかた)
所在地 神奈川県相模原市中央区上矢部5‐1 2014.5.18
矢部館 (やべやかた)
所在地 神奈川県相模原市中央区上矢部5‐1 2014.5.18
説明板
土塁・説明板
上矢部の土塁
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道47号線「常盤」交差点より市道を南に約320m行った東側、「上矢部」交差点北のバス停付近に土塁が保存されている[マップコード2 572 557*06](地図)。
【歴史】 十二世紀後半、武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)の一つ「横山党」と呼ばれる武士団は八王子から南に進み、境川流域の相原に館を構え粟飯原(あいはら)と名乗り、この兄弟の一族が勢力を広めて、小山・矢部・田名氏などを名乗った。
土塁の西側に矢部氏の館があったと考えられ、土塁の外側に箱薬研形の堀が、発掘調査で確認されている。
又、近くに建暦三年(1213年)和田合戦で滅亡した矢部氏の供養板碑がある。