一方井城 (いっかたいじょう) (九井館・輪台城)(わだいじょう)
最寄地 岩手県岩手郡岩手町一方井第13地割132 2017.4.24
一方井城 (いっかたいじょう) (九井館・輪台城)(わだいじょう)
最寄地 岩手県岩手郡岩手町一方井第13地割132 2017.4.24
登城ルート
南部信直公生誕之地碑
1郭・櫓台
櫓台・八幡宮
1郭2郭間の空堀
2郭
2、3郭間の空堀
一方井城 1郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 1郭は花木が植樹されよく手入れされている。2郭との間に深く切り立った空堀が残っている。櫓台からは遠く県内随一の岩手山を望むことが出来る。
【案内】 県道17号線の一方井川に差し掛かる所より北に入る[マップコード249 770 815*08](地図)。
その西に「南部信直公生誕之地」の碑、説明板が建てられている。
比高約30mの1郭は広く公園となっている。北側の櫓台に、八幡宮が祀られ背後に土塁・空堀が残っている。
本丸の北に空堀を挟んで2郭、3郭が在る。
【歴史】 南部氏の記録には天文年間(1532~55年)から記されている一方井氏の本拠地で、安倍貞任の庶流で、秋田安東氏の安東太郎盛季の孫が秋田から来住したものが始祖となり一方井氏を名乗った。支族には米内氏があり、郡の米内郷を領して氏としている。
南部信直は、糠部左衛門尉高信の子として、天文十五年(1546年)三月に一方井城において誕生し、この地で13才まで生長し、のちに高信に引き取られ、三戸郡田子館において成人したというのが通説である。
天正二十年(1592年)の「諸城破却令」には「一方井 山城 破 阿保孫三郎 持分」とあり破却された。