佐是城 (さぜじょう) (佐瀬城)
所在地 千葉県市原市佐是1097 2016.12.9
佐是城 (さぜじょう) (佐瀬城)
所在地 千葉県市原市佐是1097 2016.12.9
光福禅寺にある佐瀬城址碑
内堀
佐是城跡標柱
北曲輪にある明性院(妙性院)
3郭
佐是城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 光福禅寺西側の道路との間に内堀があり、東側に南北に内曲輪、北曲輪、主郭、2郭、3郭と並んでいる。墓地や藪、竹林で阻まれ直接行けず、大きく回り込んで行くしかない。
【案内】 国道297号線より西に行った「光福禅寺」(表記番地)西に参詣用駐車場がある[マップコード130 510 823*44] 。内曲輪は光福禅寺境内となっている。
駐車場の北に前方後円墳賀あり、門を入ると縄張り図の彫られた「佐瀬城址碑」の石碑と説明案内板が建てられている。東に「佐瀬城址内戦国末期の館跡」の石碑が建てられている。
藪の南が北曲輪だが直接行けず、西側の道を南下して(地図)[マップコード130 510 551*47]、東に約200m南下すると、「佐是城跡」の標柱が建てられ、北曲輪に「明性院(妙性院)」が建っている。土塁が少し残っており周りは竹林となっている。
佐是城跡の標柱南側の二段になった台地が3郭で、東に本丸、その南に2郭があるようだが、広い芒原となっており詳細な識別は出来なかった。
【歴史】 鎌倉時代、佐是禅師円阿(佐是四朗祥師説もある)が堀之内に館を構えたことに始まる。
戦国時代初め、武田三郎国信が佐是城主を命じられ、佐是氏の造った城を、戦国時代の大規模な城に造りかえた。