伊佐野城 (いさのじょう)
最寄地 栃木県矢板市下伊佐野208 2015.2.14
伊佐野城 (いさのじょう)
最寄地 栃木県矢板市下伊佐野208 2015.2.14
登城ルート
持宝院山門(移築門)
持宝院前の竪堀
南西の空堀
主郭・土塁
北東の腰郭
伊佐野城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 東北自動車道を潜った県道30号線を北に約880m行き、西に細い道を行くと間もなく、持宝院(表記番地)に駐車場がある[マップコード121 364 459*47]。
城跡はその南の丘陵先端部に築かれ、主郭とその北東側下段に腰郭がある。主郭の西から南にかけて土塁、空堀が残る。
西側の空堀を通って登ると良い(枯竹が散乱している)。説明板はない。
持宝院山門は松ヶ嶺城の移築門と云われている。
【歴史】 伊佐野城は、塩谷氏が塩谷郡を治めていた時代に、家臣・山本氏の支配の城であったことが知られており、塩谷氏の本城川崎城の北の守りの支城の一つであった。
土豪の館を山に築いた程度の小規模な城で、空堀により守られた主郭と腰郭により構成される。持宝院は現在、城の北側の麓に移転しているが、かつては、城ともに山にあったと伝わり、伊佐野城は半寺半城の城であった。
築城年代は不明であるが、伊佐野は『和名抄』にその地名が出てくるほど古く、『矢板市史』では、証拠となるものは何も無いと前置きしながらも、当地が平安末期の伊佐野支配の役所跡である可能性を指摘している。歴史は、ほとんど資料が無く不明な点が多い。
城は、天正十八年(1590年)に伊佐野郷が塩谷氏の支配から、岡本氏の支配に変わった時に廃城になった。
廃城の後、正保元年(1644年)9月に岡本氏が改易となると、当地は、幕府領を経て他の大名や旗本などの領地となり、伊佐野城には代官所が設置された。
具体的な設置年・廃止年は不明だが、寛文五年(1665年)から延宝六年(1678年)までの那須領時代には代官所が置かれていたことは確かである。『矢板市教育委員会編 『矢板市史』矢板市、1981年』。