鹿沼城 (かぬまじょう)
所在地 栃木県鹿沼市今宮町1669‐1 2014.4.17
鹿沼城 (かぬまじょう)
所在地 栃木県鹿沼市今宮町1669‐1 2014.4.17
土塁
忠霊塔
御殿山公園
野球場
空堀・土塁
説明板
鹿沼城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道121号線「市役所前」交差点を西に400mほど行き、御殿山公園駐車場[マップコード132 224 797*75]が利用できる。
近年(昭和四十年前後と思われる)本丸跡、二の丸跡、三の丸跡を地均しして総合グランドとし野球場となっている。北西隅の高い土地の上に忠霊塔などがある。
南東に「鹿沼市御殿山会館」(表記番地)があり付近に城跡看板(昭和四十二年)が建てられている。土塁は野球場の周りにあり(後で造り直された)、西側に堀跡が見て取れる。濠を二重、一部三重に廻し外に出丸を設け総面積は数万坪に及ぶ。
【歴史】 鹿沼城の起源は、佐野氏の支族鹿沼氏が本拠を構えた事から始まった。
戦国時代に入ると、鹿沼氏は東隣の宇都宮氏から圧迫を受け、宇都宮忠綱の代に攻め滅ぼされた。
宇都宮氏は(1500年頃)鹿沼城周辺の支配を壬生綱重に任せ、のち壬生下総守綱房が城主となり、以後は壬生氏の居城となった。
その後、関東で後北条氏が台頭してくると壬生上総介義雄は宇都宮氏から離反し、後北条氏に従属するようになる。
天正十八年(1590年)、小田原征伐で壬生氏が北条方に加担し、義雄が戦後急死したため壬生氏は断絶し、鹿沼城も廃城となった。