山尾城 (やまおじょう) (山直城・山能城)
所在地 茨城県日立市十王町友部600 2020.4.25
山尾城 (やまおじょう) (山直城・山能城)
所在地 茨城県日立市十王町友部600 2020.4.25
十王中学校・鉄塔
中学校西側道路横の擁壁上の堀切
西側道路横の堀切
山尾城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 日立市立「十王中学校」の敷地となっており、遺構は少ないが東側に段があり、西側尾根に堀切や土塁のある郭が僅かに残っている(擁壁の西側から何とか登れる)。
十王川を挟んで北方に支城の櫛形城があり、南方に友部城がある。
【案内】 県道10号線から南に登った「十王中学校」(表記番地)敷地となっている。
学校の西側道路から左上を見ると、鉄塔横に堀切の窪みが見える(地図)。
【歴史】 14世紀に佐竹氏に従った小野崎氏が友部城を築き、その後、応安四年(1371年)頃、佐竹氏に従った小野崎城を築いた小野崎通胤の嫡男通春によって築かれたとされる
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の命を受けた小野崎氏は、山尾城を残して、友部城を廃城にしたと思われる。
慶長七年(1602年)、主家・佐竹氏が秋田へ転封となると、小野崎氏も移り廃城となった。