小浜城 (おばまじょう) (下館)
最寄地 福島県二本松市小浜北月山27 2013.11.9 2018.7.3
小浜城 (おばまじょう) (下館)
最寄地 福島県二本松市小浜北月山27 2013.11.9 2018.7.3
説明板
本丸東側
本丸入口・石垣
本丸・石碑
「宮森家祖大内氏城址」の碑
二の丸本丸間の堀切
2の丸南下段
小浜城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「二本松市岩代支所」(表記番地)の北側を東に350mほど登り、T字路を北に100m行くと、標高297.7mの山頂に本丸跡がある[マップコード129 526 295*65]。城址碑が建てられている。
一部石垣も残っており眺望もよい。「宮森家祖大内氏城址」の碑がある。小浜城跡の南方約2㎞に宮森城跡がある。
本丸西側に二の丸があり、深い堀切が残っている。二の丸は鬱蒼としており、南東側下段が畑に利用されている。
【歴史】 室町時代に石橋氏の所領であり、家臣大内氏が築いた。永禄十一年(1568年)小浜城主・大内義綱は主家の石橋尚義(久義)を追放、塩松地方を支配下に置いた。
天正十二年(1584年)伊達政宗が家督を継ぐと、当主大内定綱は臣従を示したが、翌年離反し蘆名氏に付く。政宗が小浜城の支城の小手森城(北東約7㎞)を落すと定綱は会津蘆名氏へ逃げ、政宗は無血開城した。
この後政宗は二本松氏への攻撃の拠点とし、天正十三年(1585年)政宗の父・輝宗が二本松(畠山)義継に拉致され殺害された(粟津の変)ため、政宗は二本松城を攻め落した。
天正十九年(1591年)奥州仕置により塩松は蒲生氏の所領となり、家臣の蒲生忠右衛門が2万5千石で小浜城代になった。
その後上杉時代は山浦景国、再度蒲生氏時代は玉井貞右が城代となり、寛永四年(1627年)廃城となった。