小野城 (おのじょう)
最寄地 福島県田村郡小野町小野新町美売65-1 2016.10.6 2017.4.22
小野城 (おのじょう)
最寄地 福島県田村郡小野町小野新町美売65-1 2016.10.6 2017.4.22
登城ルート
町民体育館北側登り口
大空堀
本丸跡碑 ・土塁
西虎口・城址碑
2郭南土塁
空堀・2郭(左が3郭)
3郭南端・城址碑・説明案内板
小野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 南側の専光寺(小野町小野新町舘廻87)の墓地より登ると、南郭に説明案内板、城址碑が建てられている。今回、2度目であるが草が刈られ良く見渡す事が出来た。専光寺に駐車場[マップコード300 405 795*48]があり、墓地真上が3郭となっている。
【案内】 磐越自動車道「小野IC」より国道349号線に入り、左折すぐ北の信号交差点を右折、小野公園の南の町民体育館[マップコード300 434 355*63](表記番地)駐車場が利用できる(時間外で閉まっていた)。
体育館東に登り口(地図)があり、尾根を南に行くと、間もなく杉林の広い平坦地があり、東西に延びた大空堀がある。
その南の本丸跡には「小野城本丸跡」の石碑が建てられている。空堀に面して土塁が残っている。東と南に一段下がって郭がある。
西側の町道からも入り口があり、道標が建てられている[マップコード300 405 844*72](地図)。
東に約200m行った 虎口に城址碑が建てられている。南に2郭があり土塁空堀があり、その南側に広い3郭がある。南端に説明案内板、「小野城址」の石碑が建てられている。南は切岸となり、専光寺墓地に至る。
【歴史】 小野左右衛門の居城であったが、永正元年(1504年)前後に飯野平城を本拠とする岩城常隆によって攻め落とされ、常隆は三春から勢力を伸ばした田村義顕と娘を結婚させ友好を結び、この城を譲ったといわれる。
田村家は義顕、隆顕、清顕と代を重ねたが、天正十四年(1586年)に清顕が死去すると、嫡子のいない田村一族は継者争いで分裂し、天正十七年(1589年)混乱に乗じた岩城勢の侵攻によって小野城は落城した。
その後、奥州仕置によって田村氏断絶により小野城は廃城となった。