龍崖山城 (りゅうがいさんじょう)
最寄地 埼玉県飯能市坂石町分256 2017.10.4
龍崖山城 (りゅうがいさんじょう)
最寄地 埼玉県飯能市坂石町分256 2017.10.4
登城ルート
坂石小学校跡地・登り口
岡部屋敷より登る(右)
主郭・龍崖山
西側下段の郭
西側堀切
龍崖山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 岡部屋敷から真南に登った標高354mの龍崖山頂上にある。細長い主郭があり、西の郭を経て、尾根に堀切がよく残っている。今後の為に、要所にピンクのテープを括り付けておいた。
同じ市内の大河原に龍崖山城があり、混同しないよう留意する必要がある。
【案内】 国道299号線旧道に面した吾野郵便局の西約40mより南に曲ると白髭神社があり、駐車できる[マップコード91 252 719*33]。
西武秩父線トンネルを潜り登ると、旧坂石小学校跡地の広い台地に出、長屋住宅(表記番地)が5棟建っており、東側にプレハブ建物が建っている。
その左奥(地図)より杉林に入り、10m程登ると、細い道を反時計回りに登ると、比高60mの岡部屋敷に着く。
岡部屋敷の南の山裾右端より尾根に出、南に向けて龍崖山へ山道が続いている。歩きやすいが、山頂北側は急勾配となる。
主郭は東西に細長く、西に虎口があり、右に浅い堀が残っている。その西に傾斜した平坦地があり、西端に堀切が残っている。
【歴史】 『新編武蔵風土記稿』によると、「りうがい山、南村の南にあり土人岡部六弥太忠澄の城跡なりと云、頂上平坦五六十坪、松杉及び雑木生茂れり堀石垣等僅存せり、・・・」とあり、位置関係から、岡部屋敷の詰城と考えられる。
岡部屋敷は、武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)のひとつ、猪俣氏に端を発する岡部氏の居館跡と云われている。
至徳年間(1384~87年)頃に、岡部新左衛門が吾野に居住している。