真壁城 (まかべじょう) (国の史跡)
最寄地 茨城県桜川市真壁町古城360 2013.11.2 2020.7.5
真壁城 (まかべじょう) (国の史跡)
最寄地 茨城県桜川市真壁町古城360 2013.11.2 2020.7.5
登城ルート
本丸跡・城跡碑
本丸空堀
二の丸
中城(三の丸)
中城東側空堀
真壁氏累代の墓
楽法寺黒門
真壁城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道41号に面して「セブンイレブン」(表記番地)北より東に行くと真壁体育館が建てられ、体育館駐車場隅に「真壁城址」の石碑が建てられている[マップコード123 688 608*21]。
体育館敷地が本丸跡で、北側に子育稲荷神社がある。碑を左に見て東に行くと視界が開けて二の丸があり、さらに東に堀と土塁をめぐらした中城(地図)、外郭(地図)がある。外郭(四の丸)の南東隅には、鹿嶋神社が建っている。
7年後訪れてみると、本丸、二の丸は変わりなかったが、中城(三の丸)の東から南にかけて土塁が復元され、外郭南の虎口周辺の土塁が復元されていた。
南東約800mにある遍照院本堂東には真壁氏累代の墓が祀られている。
また、城門が雨引観音楽法寺(桜川市本木1)の黒門として移築されている。
平成六年(1994年)10月28日、国の史跡に指定された。
【歴史】 承安二年(1172年)大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、築城した。以後18代の真壁氏の居城であった。
興国二年(1341年)十二月、北畠親房の「御方城々」として、真壁城がみえ、南朝方の城であった。のち北朝方に立場を変え、真壁氏は地頭職を有した。
応永三十年(1423年)、12代真壁慶幹のとき小栗満重の乱に小栗方で参加したため足利持氏軍によって落城したが、その後の混乱の中で慶幹の従兄弟・朝幹が真壁に復権した。
17代久幹のときに次男義幹が柿岡城に分家し、18代氏幹に至って甥の柿岡城主房幹(弟義幹の子)に家督を譲ったため、真壁城は真壁本家の城ではなくなった。
慶長七年(1602年)佐竹氏の家臣団として真壁氏は出羽角館へ移住し、空城となった。
そののち慶長十一年(1606年)浅野長政が隠居料として真壁藩5万石を与えられ、慶長十六年(1611年)長政の跡を継いで浅野長重が入城した。
元和八年(1622年)長重は笠間城へ移動となり、廃城となった。