難台山城 (なんだいさんじょう) (県の史跡)
最寄地 茨城県笠間市上郷2899 2016.2.27
難台山城 (なんだいさんじょう) (県の史跡)
最寄地 茨城県笠間市上郷2899 2016.2.27
登城ルート
難台山林道入口(右)
小田五郎碑
土橋・説明板
説明板
8合目の段切跡標識
8合目の石塁跡・奥が山頂
屏風岩
難台山頂上・方位図
難台山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高420m】
【感想】 南朝特有の比高の高い山頂に築かれた城で、心して登った。急ごしらえの陣城の感は否めなく、8合目に位置し階段状の郭があるが遺構は少ない。頂上の広い平坦地も詰として利用されたと思われる。
【案内】 駒場地区の表記番地先の三叉路を北西(右)に林道を約350m行くと、「小田五郎碑→」の標識の登り口[マップコード 112 763 322*80 ](地図)がある。
S字の林道を500mほど登ると右に「難台山城跡」の標識のある次の登り口(地図)がある。
約250m登り右手に小田五郎碑(地図)が建てられている。約150m登って左に近道があり、林道に出た所に説明板が建てられ、土橋・空堀(地図)がある。
急坂を登り尾根に出る途中に城跡があり「城址道」の標識がある。城跡は3、4段の段郭で崩れた石が点在している。
比高約90m登ると尾根に出、「城跡・山頂」の道標が立てられている。右に約200m登ってゆくと難台山頂上である。
標高553mの山頂には「国之常立」の祠が祀られ、方位絵地図の台座が建てられている。ハイカーが5組ほど見られ、昼食中であった。吾国・愛宕県立自然公園となっている。
南に団子石峠の方に向かうと、屏風岩、天狗の奥庭、天狗岩、獅子ヶ鼻などの景勝地がある。尾根伝いに行くと団子石峠南に団子石林道の駐車スペースがあり、駒場地区の三叉路に至るルートもある。
昭和九年(1934年)5月18日、茨城県の史跡に指定された。
【歴史】 難台山城は南北朝争乱における常総南朝の決定的壊滅をもたらした合戦の故城である。
元中四年(1387年)南朝方の小山義政の三男若犬丸が、小田孝朝の子・五郎藤綱と共に難台山に拠り兵を挙げた。真壁顕幹から兵糧等の支援を受けて戦った。
一方北朝方の上杉朝宗は常陸国太田の城主佐竹義宣、山尾(十王町友部)の城主小野崎通郷、江戸郷(那珂市)の城主江戸通高らの応援を受け、難台山城北東の館岸城に拠った。
上杉方は度々攻めたが、容易に落ちず、元中五年(1388年)小田方の糧道を遮断した。このため、同年五月小田五郎は手兵と共に打って出、戦死したと伝えられている。
小山若犬丸は囲みを破って逃れ、後、応永四年(1397年)奥州で旗揚げしたが、玉造の城主烟田重幹(かまたしげみき)の追討を受け、敗れて自害した。『茨城県教育委員会説明板』より。