玉生城 (たまにゅうじょう)
最寄地 栃木県塩谷郡塩谷町玉生741 2015.1.17
玉生城 (たまにゅうじょう)
最寄地 栃木県塩谷郡塩谷町玉生741 2015.1.17
伯耆根神社参道
主郭・土塁・伯耆根神社
櫓台・祠
二の曲輪北の石垣
二の曲輪(奥が主郭)
二の曲輪南の横堀
南西の堀切
南西下段の堀切
玉生城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「塩谷町役場」(表記番地)の西約240mの直角に曲がる所に「伯耆根神社入口」の石碑が建てられている[マップコード315 372 695*42]。北に少し行った墓地横に駐車スペースがある。
塩谷町玉生にある比高約40mの石段を登った伯耆根神社・八坂神社の境内が本丸跡であり、土塁、櫓台が残っている。
西側に一段下がって二の曲輪があり、北側通路横に石垣が見られ、南西尾根に2条の堀切が残っている。上段の堀切から二の曲輪南側に横堀が伸びている。
【歴史】 建長六年(1254年)塩谷朝業の曾孫・忠景(忠昌)が玉生氏を名乗り、下野国塩谷郡玉生の地に玉生城を築き、玉生氏代々の居城となった。なお忠景が弘長年間(1261~64年)に築城した説もある。
その後、玉生氏の勢力が拡大するとともに、応永十六年(1409年)に、当主勝泰が居城を宇都野城(鳩ヶ森城)に移すと、玉生城は、玉生氏の支城となった。
慶長二年(1597年)十月十三日豊富秀吉により宇都宮国綱が改易されると、廃城となった。