下田館 (しもだたて)
最寄地 岩手県盛岡市下田生出袋54 2017.4.24
下田館 (しもだたて)
最寄地 岩手県盛岡市下田生出袋54 2017.4.24
登城ルート
稲荷神社鳥居・説明板
説明板
北館・稲荷神社
北館の土塁
北館と南館間の空堀
南館南側土塁と堀(手前)
下田館北館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 北上川の支流生山川の東の台地にある。全体の規模は東西約150m南北約200mで南北に2つの郭から構成されている。北側の道路も堀跡と思われ、左手に北館進入路がある。
南館は墓地の先までで、低い土塁が見て取れる。
【案内】 喜雲寺(表記番地)西の稲荷神社鳥居横に説明板が建てられている。鳥居からの階段は崩れ、立ち入り禁止となっており、北に回り込んで緩やかな坂道より入るとよい。喜雲寺墓地に入る道路脇に駐車できる[マップコード249 349 480*11]。
北館は70m四方の広さがあり畑、稲荷神社敷地となっている。南側に土塁が残っている。その下に空堀がある(一部墓がある)。
空堀を挟んで南に南郭があり、大部分は喜雲寺墓地となり南に低い土塁があり、その南は草地となっている。
【歴史】 文治五年(1189年)源頼朝の奥州征伐で、武功を挙げた相模国の河村秀清が陸奥国岩手郡・斯波郡を賜り、地頭となった。築城時期は不明だが、河村秀清を祖とする庶子家下田弥三郎秀祐が築いたといわれる。
天正十九年(1591年)の九戸政実の乱では南部信直方に与した。
天正二十年(1592年)の「諸城破却書上」には「岩手郡之内 下田 平城 破 川村 中務 持分」とあり、破却された。