モロラン陣屋 (国の史跡)
最寄地 北海道室蘭市陣屋町2-4-25 2014.8.7
モロラン陣屋 (国の史跡)
最寄地 北海道室蘭市陣屋町2-4-25 2014.8.7
南側土塁・堀・陣屋跡石碑
南側堀・土塁
建物跡礎石・土塁
米蔵礎石・土塁
裏門跡・土塁・空堀・石碑
裏門跡・土塁・空堀
モロラン陣屋跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道37号線(胆振国道)より陣屋中央通りを150mほど行き左折して、「室蘭市民俗資料館とんてん館」(表記番地)の東を北に100mT字路より西に200m行くと陣屋表門跡の南側に着く[マップコード159 399 847*32](地図)。
表門跡の前に水堀・土塁が残り「元室蘭南部藩陣屋跡」の石碑、説明看板が立てられている。陣屋内には詰所・長屋など33の建物跡があり、夫々平面復元されている。
東に裏門跡、土塁・空堀があり、平成十五年設置の「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」石碑が建てられている。遺構は良好に残っている。昭和九年(1934年)5月1日に南部藩陣屋跡として国の史跡に指定された。
昭和四十九年(1974年)8月22日に長万部・砂原の陣屋跡、室蘭市崎守町にあるポロシレトの台場・勤番所跡も合わせて国の史跡に追加指定され、名称も「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」に変更された。
【歴史】 当初、寛政十一年(1799年)蝦夷地公議御料(幕府直轄領)時代、箱舘の警護を命じられた南部(盛岡)藩が箱館谷地頭の北方に設置した元陣屋であった。
文政四年(1821年)松前藩の蝦夷地復領によって廃止された。
その後、安政二年(1855年)箱館開港に伴ない、蝦夷地が再び公議御料となり箱舘奉行が設置されると、南部藩は函館山岬と恵山岬から幌別(現登別市)までの沿岸警備を命じられた。箱館に元陣屋(南部藩陣屋)を、室蘭に出張陣屋(モロラン陣屋) を、砂原(砂原陣屋) ・長万部(ヲシャマンベ陣屋)に分屯所が設けられた。
その際に、元の陣屋の交付を受けたが使用に耐えず、安政三年(1856年)修築工事を行い、東西180m南北120mの方形敷地の周囲に空堀と土塁を巡らせ、210人ほどの兵員が配置された。
慶応四年(1868年)、政情不安から南部藩は蝦夷地警護兵を撤退させることとなり、八月三十一日夜半、陣屋に火を放って帰国し、南部陣屋は廃絶した。