黒石陣屋 (くろいしじんや)
所在地 青森県黒石市内町31−5 2014.8.3
黒石陣屋 (くろいしじんや)
所在地 青森県黒石市内町31−5 2014.8.3
御幸公園
黒石城趾碑・看板
陣屋絵図
黒石陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「御幸公園」(表記番地)南側に「黒石城址」の石碑、案内板が建てられている。
その南には浅瀬石川が流れ、陣屋との間には宇和堰があり、地形的にも自然の要塞を呈していた。大手門近くには、町令所や太鼓櫓があった。
さらに、中門、無常門、御制札場などが北側にあった。西側には馬場、南東には津軽信英を祀った御廟があり、南側には蝦夷館(えぞだて)と呼ばれる地が置かれている。
御門内に入るためには、大手門か西門を通過しなければならないが、これらは典型的な枡形門となっていた。
陣屋の東側には、空堀があったが、明治の初め埋め立てられた。陣屋内には、御殿、台所、御蔵、焔廠蔵が配されていた。浅瀬石川に臨む段丘は比高13mの高さがあり陣屋地では唯一の要害である。
【歴史】 陣屋は明暦二年(1656年)交代寄合旗本であった津軽信英(5千石)により築かれた。
8代領主親足の代の文化六年(1809年)加増により1万石を領し、諸侯に列し、津軽藩九代藩主寧親の時、支藩として黒石藩を立藩した。
11代津軽承叙(つぐみち)の代に明治維新を迎えた。明治四年七月の廃藩置県と黒石県の成立、九月の弘前県への吸収合併により、存在意義を失い、廃城となった。
陣屋跡は、明治六年(1873年)八月二十八日黒石小学校が建設された(後に現在地に移転)。市民文化会館や中央スポーツ館の敷地などとなり、馬場跡が黒石公園(後に御幸公園)となった。