黒沢尻柵 (くろさわじりさく) (安倍館・川岸遺跡)
最寄地 岩手県北上市川岸3丁目9−10 2017.10.26
黒沢尻柵 (くろさわじりさく) (安倍館・川岸遺跡)
最寄地 岩手県北上市川岸3丁目9−10 2017.10.26
説明板
標柱・堀
郭跡の公園
郭跡の公園・堀
黒沢尻柵跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 北上川右岸の河岸段丘にあり、住宅地となり、一部が公園として整備され、堀と郭の一部が復原されている。堀の前に標柱・説明板が建てられている。
【案内】 東北本線・新幹線「北上駅」東口前の通りを北に250mほど行くと、表記番地店舗の手前に公園がある[マップコード108 405 582*82]。
【歴史】 平安時代後期、陸奥の豪族安倍氏は北上川沿いの重要な地に柵を造営し柵主には一族を当て地域支配の拠点とした。黒沢尻柵もその一つで安倍頼良の5男正任(まさとう)を配した。
永承六年(1051年)前九年の合戦が起きたが、安倍氏の勢力が強く、陸奥守・鎮守府将軍源頼義は出羽の豪族清原氏に援軍を請うた。
康平五年(1062年)安倍軍は源氏・清原軍と厨川柵で最後の決戦を行った。
この合戦の途中、黒沢尻柵が落ち、正任は出羽に逃れ、後に投降し伊予に配流されたという。『現地説明板』より。